ビジュン[宜保]

更新日:2023年02月01日

草地の中に、赤い小さい祠のようなものが立っている写真
  • 地域:宜保(ぎぼ、方言名:ジフ)
  • 種類:拝所
  • 行事:
    • 旧暦1月2日 初御願
    • 旧暦5月15日 五月ウマチー
    • 旧暦6月25日 夏ヌ御願(カシチーウイミ)
  • 状態:実物が現地にあります。見学できます。
    • 文化財説明板(2017年3月設置)
石の四角い台座の上に立っている、赤い祠のようなものと、文字が書かれた石板の写真

ビジュンは広場の中にあります

石の壁の前に、白い台座があり、字宜保のビジュンの説明文が書かれている写真

説明版

 ビジュル・ビジュンとは「霊石を祀る習俗」の事で、多くは沖縄本島内に分布し、豊見城市内では一般的にビジュンと呼ばれている。

 宜保のビジュンは、アガリヌモーグヮーという小高い丘の中央に祠があり、丸みのある石1個を霊石として祀っている。伝承では、ビジュンが小高いアガリヌモーグヮーに位置しているのは宜保のフンシ(守り神)であるためといわれ、戦前は家族の健康祈願や旅に出る際に拝まれていた。その他には、旧暦一月二日の初御願や旧五月十五日の五月ウマチー、旧六月二十五日の夏ヌ御願(カシチーウイミ)等でも拝まれる。また、夏ヌ御願の日に綱引きが行われるが、戦前はビジュンの敷地内で綱打ちが行われた。

 このような信仰の対象であるビジュンであるが、沖縄戦以前にはまた別の使われ方もしている。太平洋戦争開戦の詔勅が出された1941年12月8日を特別に記念する「大詔奉戴日」に合わせて、字主催の戦勝祈願が1942年~1944年にかけて行われていた場所でもある。ビジュンに向かって拝礼し、宜保出身の出征軍人の姓名を列挙紹介し、最後に万歳三唱が行われた。また、宜保出身者が戦争へ行く出征軍人の壮行会が行われた場所でもあった。

 ビジュンの祠はこれまで数度の改修された記録がある。1940年(昭和15)の「紀元二千六百年祭」に合わせて改修され、その時の記念碑が最近まで一部現存していた。その後、2010年(平成22)1月の宜保地区区画整理事業により再度改修が行われている。

 以上のように、地域の守り神として信仰の対象であり、沖縄戦の記憶をとどめる場所でもあるビジュンは、これまで幾度も改修が行われながら地域の方々に大切にされてきた場所である。

英訳文

 The Bijun of Gibo enshrines a rounded stone that is thought to have divine power, at the center of a small hill called Agarinumogwa. According to local lore, the reason why the Bijun is located on the Agarinumogwa hill is because it is said that it is where the local deity, Funshi, is. Before the war, the locals prayed to their god for the good health and safe voyage of their families.

 The Bijun is where the locals offer their prayers for their wellness and safety, but before the Battle of Okinawa they also had other functions. The village hosted special ceremonies at the Bijun to offer prayers for victory in the Pacific War in the years between 1942 to 1944, to commemorate the Taisho Hotaibi (imperial rescript day) which was delivered on December 8, 1941. It was also where send-off gatherings were held when men from Gibo were called into service to fight in the war.

 The Bijun has seen numerous repairs and improvements over the years, cherished and protected by the locals. It is seen as the protective deity of the area, and it also holds memories of the events in the Battle of Okinawa.

参考文献

  • 豊見城市教育委員会 2017『字宜保のビジュン』文化財説明板
  • 豊見城村村史編集委員会 戦争編専門部会 2001『豊見城村史 第六巻 戦争編』豊見城村役所
  • 豊見城市史史編集委員会 民俗編専門部会 2008『豊見城村史 第二巻 民俗編』豊見城市役所
字宜保のビジュンの説明図

文化財説明板の文面

上半分が折れている改修記念碑と、その奥に崩れかかった石の祠が見える草地の写真

改修前のビジュンの祠と紀元二千六百年祭の改修記念碑。1998年(平成10年)撮影。

「鎮守の杜」と書かれた石碑が草地の中に立っている写真

2010年に改修され整備されている。

地図

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作成日

平成29年3月31日

この記事に関するお問い合わせ先

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