石火矢橋「イシバーシ」

更新日:2023年02月01日

説明文が書かれた台座の奥に柵があり、川にかかっている橋が見える写真
  • 地域:豊見城・高安・根差部
  • 種類:橋
  • 状態:現物があります(架け替えられています)。見学できます。
    • 文化財説明板(2015年2月設置)
住宅街がある対岸に向かって、柵のある大きな橋がかかっている写真

現在の石火矢橋(2016年)

 石火矢橋は、豊見城グスクの南東をながれる饒波川下流に架かる橋で、戦前まで美しい曲線のアーチとそれを支える独特な形の橋脚が連なる5連の石造アーチ橋であった。橋の創建年代は定かでないが、橋には、三山時代、尚巴志が南山の支配下にあった豊見城グスクを攻めようと城内に女間者を送り、謀計によって架けさせたとの伝説が残されている。

 当初は木橋であったが、1694年の洪水により橋が損壊したため、1697年(康熙36)に石橋に改修された。そのときの改修工事完了を記念して建立されたのが「重修石火矢橋碑」であり、豊見城グスク側の橋のたもとから少し上に昇った位置に碑の台座は設置されていた。

 王府時代、外敵が侵入する事態に備え、首里城から真玉橋を経て那覇港南岸に軍勢を集結するための王府の道路「眞珠道」の道筋にもあたり、軍事面においても、交通の要衝としても重要な橋であった。また橋のたもと周辺にはかつて船着場や製糖工場などがあり、一帯は近隣から運び込まれた砂糖などを小舟に積み替え、那覇のマチ(市場)などへ運ぶための物資積み出しの拠点ともなっていた。

 橋脚からアーチまで琉球石灰岩を加工して石組みにし、橋脚には饒波川河口の干満差や急激な水の流れを配慮した三角形の鋭角な「潮切」(スーチリー)が施されるなど独特な構造が特徴的であった。

 しかし、沖縄戦で石火矢橋は破壊され、橋脚部のみが1970年代まで残っていたが、それも1978年(昭和53)の橋の改修工事で消滅してしまった。「重修石火矢橋碑」も戦争により破壊されたが、台座部分だけが現存している。

英訳文

 The Ishihiya Bashi Bridge is located downstream on the Noha River which flows outheast of the Tomigusuku Gusuku castle. Up until the war, it was a beautiful, arched stone bridge. It is not clear when the bridge was built, but as legend has it, the bridge was constructed as a part of plot to attack the castle of Tomigusuku Gusuku by sending in female spies into the castle.

 Initially, the bridge was constructed of wood, but after its destruction in 1694 due to a flood, it was rebuilt by stone in 1697.

 During the Ryukyu Kingdom era, it was used as a path to gather the King’s troops at the southern shore of Naha Port by way of Madanbashi Bridge from the Shurijo Castle, and hus the bridge was a strategically important route in terms of military affairs and ransportation. Further, in the area around the bridge were docks and sugar factories and was once a hub for shipping supplies.

 The footing on the bridge was unique, with sharp-angled, triangular shape, known as Shiokiri (Suchiri), which was designed with consideration to the ebb and flow at the mouth of the Noha River, and the rapid flow of the water.

 However, the Ishihiya Bashi Bridge was destroyed in the Battle of Okinawa, and only the bridge footings remained up until the 1970s, and the footings, too, were removed as the bridge was reconstructed in 1978.

参考文献

  • 豊見城市教育委員会 2015『石火矢橋「イシバーシ」』文化財説明板
  • 豊見城村村史編纂委員会 1964『豊見城村史』豊見城村役所
  • 沖縄県教育庁文化課編 1984「真珠道・末吉宮参詣道」『沖縄県歴史の道調査報告書1』沖縄県教育委員会
  • 沖縄県教育庁文化課編 1987「島尻方諸海道・首里・那覇の道」『沖縄県歴史の道調査報告書4』沖縄県教育委員会
  • 豊見城村村史編纂室 1998『豊見城村史 第九巻 文献資料編』豊見城村役所
  • 豊見城村教育委員会 2002『豊見城村の文化財(増補)』豊見城村教育委員会
石火矢橋「イシバーシ」の説明図

文化財説明板の文面

説明文の台座のある草地を、白い体と赤い頭をした鳥が歩いている写真

周囲には水鳥なども生息している。

両岸が草に覆われて、画面左奥にカーブするように流れている大きな川の写真

石火矢橋は饒波川に架かっている。

森の中に、四隅がひび割れている石碑が斜めに置かれている写真

戦争で破壊された重修石火矢橋碑。
現在は現物や文字の写し(拓本)を豊見城市歴史民俗資料展示室で見学できます。

地図

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作成日

平成29年3月31日

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