塩づくりと塩田跡[与根]

更新日:2023年02月01日

小さなヤシの木などがある植え込みの中に、白い説明版が立っている写真
  • 地域:与根(よね、方言名 ユニ)
  • 種類:塩田跡地
  • 状態:跡地。外から見学できます。
    • 文化財説明板(2015年2月設置)
タイヤのついた車を馬に牽かせて、塩田で作業をしている男性の写真

塩田では馬車も多く活躍した
(平成28年フィルム資料収集事業で収集した写真)

 字与根の塩田は、干潟を利用した入浜式塩田で、かつては泊潟原(那覇市)、泡瀬(沖縄市)などと並ぶ県内でも主要な製塩地となっており、そこで生産される塩は「与根マース」の名で知られた。その起源は、明治30年代中ごろ、おもに那覇・泊からの移住者らにより始められたものである。

 当時の塩づくりは、塩田に砂をまき、これに海水を散布して天日に干し、砂に塩分を付着させる。この砂を集めて「クミ」と呼ばれる「ろ過槽」に入れ、さらに海水をかけてろ過すると、砂に付着した塩分が溶け出し濃縮された塩水が得られ、これを煮詰めて塩にした。

 塩田は満潮になると水没して作業を中断しなければならなかったため、昭和4年(1929)には塩田の周りに防潮堤が建設されるなど周辺整備も進められ、終戦までに約3万8千坪の塩田が開発されている。

 沖縄戦によって、防潮堤が破壊され、塩田内の砂利採取により使用不能となった箇所もあったが、被害の少なかった一部の塩田が再開され、戦後しばらくまで昔ながらの塩づくりが行われた。海岸沿いの集落に立ち並ぶマースヤーの煙突から塩焚きの煙がたなびく光景は与根の風物詩であった。しかし昭和30年前後から、外国産の原料塩を海水に溶かし焚き直してつくられる「再製塩」が出回ったため、従来の塩づくりは次第に行われなくなり、それに伴い塩田も姿を消していった。その後、塩田跡地一帯は埋め立てられ現在は「ゴルフ場」となっている。

 いまでも、再製塩による製塩業が特別の許可を得て続けられ、地元の特産品となっている。

英訳文

 In Yone, the salt fields were that of Irihama-style which used the ebb and flow of the tides. It was once one of the major areas of salt production within the prefecture, and the salt was known as the Yone Masu. The salt production in those days was done by spraying sea water on the sand spread on the salt fields where it was left to dry under the sun. The dried sea water left salt on the sand which was placed in a filtering system called Kumi. More salt water was added before filtering again, and the salt on the sand melted to create condensed salt water. Finally, the water was boiled down to achieve salt.
 
 There were salt fields that were unable to be used after the Battle of Okinawa, but those fields that saw relatively less damage were once again used for salt production in the old fashioned way and which continued for a while after the war. The settlement of Yone along the seashore was known for the rows of chimneys, smoking from the fires in the salt production. However, from around 1955, refined salt production became the main stream and eventually, the traditional methods of salt production dwindled, and with that, the salt fields also were seen less and less. Later, the areas of the salt fields became reclaimed.
 
 Today, refined salt continues to be produced here and has become a local specialty product.

参考文献

  • 豊見城市教育委員会 2015『字与根の塩づくりと「塩田跡」』文化財説明板
  • 豊見城村村史編纂委員会 1964『豊見城村史』豊見城村役所
  • 豊見城市市史編集委員会 民俗編専門部会 2008『豊見城村史 第二巻 民俗編』豊見城市役所
  • 儀間淳一 1999「与根の塩づくり」『豊見城村史だより第4号』豊見城村教育委員会村史編さん室
字与根の塩づくりと「塩田跡」の説明図

文化財説明板の文面

広大な地面の上に、小屋が点在している白黒の写真

塩田内にはクミがいくつも点在している。
左奥にはアカサチムイ(現 豊見城警察署)が写っている。(1960年代)

広大な地面の上に、小さな四角い建物が点在し、奥に平べったい島が見える白黒写真

目の前は瀬長島(1960年代)

地図

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作成日

平成29年3月31日

この記事に関するお問い合わせ先

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