龕屋(ガンヤー)跡地[饒波]

更新日:2023年02月01日

砂利の敷地の中で、二つの石の間に小さな石碑が建っている写真
  • 地域:饒波(のは)
  • 種類:龕屋(ガンヤー)
  • 行事:旧暦8月9日 龕の祝い(コーヌユーエー)
  • 状態:龕屋の跡地になり、拝所が造られています。見学できます。
    • 文化財標柱(2009年1月設置)
    • 文化財説明板(2016年2月設置)
緑の案内表示の奥に、石造りの小屋が見える写真

饒波の龕屋(2014年)

木の扉と、石積みの壁がついている小屋の写真

古い石積みの上にコンクリートの平屋根が造られている(2014年9月)

道路の脇で松の木や木々が茂っている写真

龕屋(ガンヤー)の遠景 大きな松は現在も茂っている(2014年)

開いた小屋の中にある赤い祠にむかって、参加者たちが座って祈りをささげている写真

龕の祝い「コーヌーユーエー」(2014年9月)

 この場所は、字饒波の「龕」を保管する建物「龕屋」の跡地である。龕とはかつて葬儀の際に死者を運ぶために使われた屋形型の輿のことで、現在でいう霊柩車のようなものである。龕本体には、蓮の花やお坊さん等、仏教に関する絵が描かれ、屋根部分にはシャチホコや鳥などの装飾が施されている。全体が朱色で彩色されていることから「アカンマ(赤い馬)」と呼ばれたり、ガンやコーと呼称されたりしている。

 字饒波では、かつては野辺送り(ソーローウトゥム)の際、龕に死者を納め、チューフーと呼ばれる担ぎ手達によって家から墓まで運ばれていた。また地元だけでなく、龕を保有していない平良、高嶺、金良など周辺集落にも貸し出された。戦前の龕は沖縄戦の際に失われたため、1952年に南風原津嘉山の大工に作成依頼し再建されたが、その後は火葬の普及により、1967年ごろを最後に使われなくなった。

 龕が使われなくなっても、毎年旧暦8月9日には「龕の祝い」と称して祈願が行われている。この日は龕を新調した日とされ、龕の修復点検とともに住民の健康や長寿を祈る。特に卯年のコーヌユーエーは、十三年マーイといって盛大に行われる。龕屋に線香15本、酒、重箱料理、豚肉(卯年には鶏一羽が加わる)、赤饅頭を供え、不幸が続き頻繁に龕屋を開ける事のないように字民の無病息災を祈願する。

 字饒波の龕屋は集落の西端入口に位置しており、隣字高安の龕屋と近接した場所にある。市内において隣同士の集落で龕を保有しているのは、饒波と高安のみである。饒波の龕屋は、長年の役目を終えたため、2014年に龕屋跡地として整備が行われたことに伴い、龕本体は豊見城市教育委員会に寄贈された。解体前の龕屋は、琉球石灰岩を切り出した石材で石垣や土台が造られ、屋根部分はコンクリートの平屋根が付けられていた。戦前~戦後しばらくまでは赤瓦で葺いた屋根であった。

 この場所は豊見城のかつての葬制と地域の関わりを知る上で貴重な場所である。

英訳文

 This is the former site of the Ganya for the Noha community. Ganya was a building for storing the gan, a palanquin used to carry the deceased for the funeral. Colored in bright vermillion, the gan was also referred to as Akanma (red horse).
In the Noha community, the deceased was placed inside the gan to be carried by the Chufu (palanquin-bearers) for the Soro Utumu, a procession from the house to the grave for burial. The gan was also leased out to the neighboring communities of Taira, Takamine and Kanera which did not have their own gan.
 Still today, the Ko-nu-yuuee celebration is held on August 9 of the lunar calendar to offer prayers to the gan. For renewing the gan, the celebration involves maintenance and repair of the gan and prayers for good health and longevity of the residents. The celebration on the Year of the Hare is called Jusannen-maai and is considered to be particularly important. People pray for the residents’ good health and safety so that the Ganya need not be opened frequently.
 Noha’s Ganya ended its long years of service and was redeveloped as a historical site in 2014. The gan was donated to the Tomigusuku City Board of Education. Before it was demolished, the Ganya had stone walls and foundation made of cut limestone and a roof made of concrete slab, which, prior to the war, consisted of red tiles.
 This site offers important information on the funeral system and community
involvement in olden day Tomigusuku.

参考文献

  • 豊見城市教育委員会 2016『字饒波の龕屋跡地』文化財説明板
  • 豊見城市教育委員会 2008『豊見城市史 第二巻 民俗編』656ページ
  • 豊見城村教育委員会 2002『豊見城村の文化財』31ページ
字饒波の龕屋跡地の説明図

文化財説明板の文面

地図

より大きな画面で「豊見城市 文化財説明板マップ」を見るには下記リンクから

他ホームページ内公開について

  • ウィキペディア「豊見城市の文化財」「龕屋(ガンヤー)跡地[饒波]」に関連した「ティミグシク タラー」による投稿は、このWebページの作成者の許諾を得ておこなっているものです。
  • GoogleMaps「豊見城市の文化財」「龕屋(ガンヤー)跡地[饒波]」に関連した「ティミグシク タラー」による投稿は、このWebページの作成者の許諾を得ておこなっているものです。
  • Monumento「豊見城市文化財説明板」「饒波の龕屋(ガンヤー)跡地」に関連した「thimigushiku_tara」による投稿は、このWebページの作成者の許諾を得ておこなっているものです。

作成日

平成28年2月22日

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化課
〒901-0232 沖縄県豊見城市伊良波392番地
電話番号:098-856-3671
ファックス:098-856-1215
お問い合わせフォーム