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「伊良波収容所」跡[伊良波]

更新日:2020年06月22日

 

地域 : 伊良波(いらは、方言名:イラハ)
種類 : 収容所跡
状態 : 跡地になります。見学できます。
     文化財説明板(2017年3月設置)

 

 

収容所の奥には瀬長島とアカサチムイ(現 豊見城警察署隣)が確認できる

1945(昭和20)年6月20日米軍による撮影(沖縄県公文書館所蔵)


現在と比較。説明版より東側の階段を上ると瀬長島が確認できる。


 

 沖縄戦において生存者や捕虜等を収容する施設である収容所は、沖縄県内に数多く存在した。当時の豊見城村において、初期段階で設置されたのが通称「伊良波収容所」である。
 
 沖縄戦終盤、伊良波集落北側に米軍によって設置され、主に本島南部の激戦地でとらえられた人々が最初に送られた一時的な収容所であった。ここでは検査や尋問、応急手当などを受けたあと、数時間~数日という短い収容期間の後、民間人だと沖縄本島中部の野嵩・安谷屋・越来などの各収容所へ、軍人の場合は金武の屋嘉収容所などへと再び移送された。
 
 伊良波収容所は、簡易な「金網」で囲まれ多数のテントが立ち並ぶ収容所であり、主に民間人が数多く送り込まれた。検問で取調べを受けた後、負傷の有無を始め、性別、民間人か否かに選り分けられ収容された。一部、金網の外にも人が溢れていたという証言もあり、当時、集落部分も含め伊良波周辺一帯が収容施設として機能していたことが推測される。
 
 こうした一時的な収容所は、豊見城では伊良波集落南側の当貴原や近隣の座安、与根、田頭地区等にもあったことが分かっているが、これらの場所に設置された理由は、1945年6月初め以降、豊見城地内のほとんどの日本軍が南下撤退し米軍との遭遇戦の危険性が比較的少なかったことと、激戦地から難民や捕虜を送り込む場所として交通の便や立地性に適していたからと推測されている。日本軍の組織的抵抗がほぼ終了したあと、同年7月以降、収容所機能は徐々に消滅していった。
 
 体験者の証言に数多く登場する「伊良波収容所」跡は、沖縄戦の記憶に深く刻まれた場所のひとつであり、戦後復興の第一歩を踏み出した場所として後世に語り継がれる重要な場所である。
   
 
英訳文
 Many facilities to intern survivors and prisoners from the Battle of Okinawa were established across Okinawa Prefecture. Iraha Internment Camp was one of the facilities established in the initial stages at that time in Tomigusuku Village.

 It was a temporary internment camp at the northern side of the Iraha settlement, established by the US military in the final stages of the Battle of Okinawa, mainly to hold people who were sent here first after being captured in the southern regions of Okinawa Island, the site of fierce battlefields. The captives were examined, questioned, and given first-aid treatments, and after a short period of internment, from several hours to a few days, civilians were sent to camps in Nodake, Adaniya, Goeku and other camps in the central area, while military personnel were sent to Yaka Internment Camp in Kin, and other facilities.

 The Iraha Internment Camp had numerous tents and was surrounded by simple fencing, where mostly local Okinawans were sent. After inspections and questioning, the people were sorted and grouped according to injuries, sex, and whether they were civilians or related to the military forces.There are accounts that there were people outside of the fences, unable to be placed inside due to a large number of people, and it is presumed that at that time, the settlement of Iraha and its surroundings also functioned as part of the internment facility.

 The Iraha Internment Camp is mentioned in numerous accounts of the war survivors, and this site is one of the places that remain in the memory of the people from the Battle of Okinawa. It is a place of great significance, as it was here where the first steps in the post-war recovery efforts were taken, and this memory will be passed on to the future generations.
 
〇参考文献
 豊見城市教育委員会 2017 『伊良波収容所跡』 文化財説明板
 豊見城村村史編集委員会 戦争編専門部会 2001 『豊見城村史 第六巻 戦争編』豊見城村役所

 
 
 


文化財説明板の文面





付近には伊良波のカマガーやウブガーなどの水源(井戸)もあります。
収容所時代も使われたのでしょうか?

地 図

 

 

 

 

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作成日 平成29年03月31日
 


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