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長嶺グスク [嘉数・長堂]

更新日:2017年04月06日


 

 

地域:長堂(ながどう、方言名 ナガドー)・嘉数(かかず、方言名 カカジ)
種類:グスク
状態:現物があります。見学できます。
文化財標柱(2006年2月設置)・文化財説明板(2013年5月設置)

  

グスクの入り口に説明版はあります。


 

 長嶺グスクは、字嘉数と字長堂の境に位置し、標高98mの丘陵上に形成されたグスクである。
 
 『豊見城村史(1964年刊)』によれば、長嶺按司の居城として南山の第一線として備えたとあり、グスクの頂上部付近を「ウフヤックヮ(物見)」、その東側がデーグスクと称され、グスクの台所があったところだと伝えられている。そのほか、グスク内には『琉球国由来記(1713年)』に記載された「長嶺之殿」や「按司墓」などがある。
 
 グスクの石積みはこれまで確認されてないが、伝承として真玉橋の石橋に使用されたという話が残されている。
 
 グスク一帯からは、グスク系土器、鉄製の矢じり、中国製の青磁、白磁等が出土している。また、沖縄では産出されない滑石を混入した土器が出土していることから、九州との交流が直接、間接的に存在していた可能性がうかがえる。
 
 仲間按司との紛争では、長嶺グスク城下での戦いに敗れ、馬で敗走した長嶺按司がグス
ク内の井戸に馬もろとも身を投げ自害したように見せかけ、その後落ち延びたとの伝説が
残されており、南風原町津嘉山では長嶺按司の霊を慰めるため長嶺グスクを遥拝するアミ
シの御願の由来ともなっている。
 
 長嶺グスクの成立および活動時期は14~15世紀に位置づけられるものと推測される。
 
 長嶺グスクに関連する伝承としては他にも、尚金福王(1450~53年)の時代に長嶺按司陵正という人が、中国に渡って砂糖製造法を習い受け、琉球に帰国後あまねく周辺に製糖を教え広めた、との砂糖製造の始まりに関する伝承が残されている。
 
英訳文
Nagamine Gusuku is located atop a hill 98 meters above sea level, on the boundaries of the Kakazu and Nagado hamlets.
 
It is said that the Gusuku was prepared as the forefront for the Nanzan (southern kingdom) during the Sanzan (three kingdoms) period, and was the residence for Nagamine Aji. The stone walls of the Gusuku have not yet been confirmed, but according to oral tradition, it is said that the stones of the Gusuku were used for the construction of the stone bridge at Madanbashi.
 
Unearthed from the Gusuku property are Gusuku-related earthenware, iron arrowheads, Chinese celadon and white porcelains. Looking at the artifacts that contain mixtures of talc which are not produced in Okinawa, it shows the possibilities of direct or indirect exchange between the Ryukyu Kingdom and the Kyushu area.
 
According to legend, in the conflict with Nakama Aji, a neighboring chieftain, Nagamine Aji was defeated in the castle town of Nagamine Gusuku and as he took flight, he made it appear as though he committed suicide by throwing himself and the horse that he rode into a well located within the castle grounds, meanwhile making a successful escape.
 
It is speculated that the establishment and active period of the Nagamine Gusuku was between the 14th to the 15th centuries.

 

〇参考文献
 豊見城市教育委員会 2013 『長嶺グスク(長嶺城跡)』 文化財説明板 
 豊見城村村史編纂委員会 1964 『豊見城村史』豊見城村役所
 豊見城村教育委員会 1988 『豊見城村の遺跡』豊見城村教育委員会
 豊見城村村史編纂室 1998 『豊見城村史 第九巻 文献資料編』豊見城村役所
 豊見城高等学校郷土史研究クラブ 1998 「長嶺城址」『豊高郷土史 創刊号』豊見城高等学校

 豊見城村教育委員会 2002 『豊見城村の文化財(増補)』豊見城村教育委員会
 豊見城市市史編集委員会 民俗編専門部会 2008 『豊見城村史 第二巻 民俗編』豊見城市役所

 


文化財説明板の文面


グスクの内部や近隣に複数の長嶺按司墓があります。

 

地 図

 

 
 

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作成日 平成29年3月31日
 


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