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豊見城市の笠戸丸移民

更新日:2016年11月29日

笠戸丸移民者、大城カメから届いた手紙

市史移民編嘱託員 赤嶺みゆき

今から約100年前の1908年6月18日、ブラジルへの初めての日本人移民781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントスという港に到着しました。笠戸丸のサントス上陸を記念して、6月18日は「海外移住の日」とされています。

今でこそ、移住100周年としてマスメディアに取り上げられたり、盛大な式典が行われたりしていますが、当時の移民者の苦労は大変なものでした。今回は、笠戸丸移民としてブラジルへ渡った本市出身者・大城カメ(字上田)に関する話を、ご紹介したいと思います。

大城カメは、大城幸喜(こうき)(字上田)の妻として、1908年17歳でブラジルへ渡航しています。50日余りの船旅を経て、フロレスタという耕地でコーヒー栽培の仕事に就いています。その後、様々な仕事を行いながら各地を転々とし、最終的には南マットグロッソ州のカンポグランデという街で、雑貨店を営んでいたようです。雑貨店はとても繁盛していたと、当時の資料には記されています。

しかし、第二次世界大戦中の大動乱に巻き込まれ、ブラジル人に家や商品などを焼かれてしまいます。一夜にして全財産を失ったショックにより、夫・幸喜は眼病にかかり、また、カメも日に日に体力が弱っていったといいます。

ちょうどその頃、沖縄の親戚に大城カメから手紙が届いていたことが、聞き取り調査で明らかになりました。頭も良く、達筆なカメからの手紙には、カメ本人が作った詩が書かれていたそうです。カメと直接手紙のやりとりを行っていた方が、今でも忘れられない詩があると言い、その詩について話してくれました。それが、この二つの詩です。

「落ちぶれて 袖に涙のかかる時 人の心の奥ぞ知らるる」
「心をば 真の道に叶いなば 祈らずとても神や守らむ」

この手紙を受け取った方は、この詩を見たとき、涙が出たといいます。

「沖縄に帰りたいと手紙に書かれていたことは、一度もありませんでした。ただ、親戚みんなは元気でいますか?と、毎回書かれていました。この詩が書かれている手紙を見た時・・『人の心の奥ぞ知らるる』という言葉を、どうして書いたのかを考えました。お金がなくなったら誰も助けてくれる人がいなかったんだろうと、そう思いました。だから、この手紙が来た時・・・本当に涙が出ました。自分は字が上手ではなかったので、恥ずかしくて返事を出しませんでしたが、そういうことは考えなくて良かったと今は思っています。どんな手紙でも、向こうは待っていたはずなのに。」

この手紙を受け取った方は、返事を出さなかったことを、今でもとても後悔していると話していました。

大城カメはその後、笠戸丸移民先駆者として、1968年に勲六等瑞宝章を授賞しています。また、ブラジル沖縄県人会では、移民の記録を後世に伝えるためとして、カメの手型と足型を保存しています。

笠戸丸移民者である大城カメは、1983年1月24日、92歳でその生涯を終えました。
 

ブラジル沖縄県人会館で保存されている大城カメの手型
(写真提供:町田宗博)

ブラジル沖縄県人会館で保存されている大城カメの足型
(写真提供:町田宗博)

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