2024年_副読本わたしたちの豊見城市_3・4年
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台だい本ほんを元もとに豊と見み城ぐすく市しで2015年ねんに85年ねんぶりに上じょう演えんすることができました。 赤あか嶺みねさんが遠とおいブラジルから台だい本ほんを書かき起おこして、ふるさと沖おき縄なわに送おくってくれたということは、沖おき縄なわの伝でん統とう芸げい能のう「組くみ踊おどり」を大たい切せつに守まもり続つづけてほしいという願ねがいがあったからだと思おもいます。 「未み生しょうの縁えん」も1756年ねんに上じょう演えんされたあと、とだえてしまい台だい本ほんのゆくえもわからなくなっていました。しかし1988年ねんに、石いし垣がき市しで長ながい間あいだほかんされていた台だい本ほんを発はっ見けんすることができました。その後ご、組くみ踊おどりを守まもり伝つたえていきたいと願ねがう人ひとたちの手てによって復ふっ活かつ。1997年ねんゆかりの地ちである豊と見み城ぐすく市しで241年ねんぶりに上じょう演えんされました。 このように、上じょう演えんがとだえてしまっても、子こや孫まごの世せ代だいにも「組くみ踊おどりを楽たのしんでもらいたい」という思おもいや願ねがいから、台だい本ほんを書かき起おこしたり、さがしだしたりして、300年ねんもの長ながい間あいだ守まもり続つづけてきたのです。みなさんも沖おき縄なわの大たい切せつな伝でん統とう芸げい能のうで、世せ界かいの宝たから物ものでもある「組くみ踊おどり」を楽たのしみ、そして守まもり伝つたえてくださいね。「組くみ踊おどりを守まもり伝つたえている人ひとたちの思おもいや願ねがいがわかりました。」「わたしたちも、組くみ踊おどりを大たい切せつに守まもり続つづけていきたいと思おもいます。」豊と見み城ぐすく市し組くみ踊おどり保ほ存ぞん会かいの當とう間まさんの話はなし広こう報ほうとみぐすく 2013年ねん3月がつ号ごう豊と見み城ぐすく市し総そう務む部ぶ総そう務む課か組くみ踊おどりを守まもり伝つたえるためにゆうたさんたちは、組くみ踊おどりを守まもり伝つたえている人ひとたちの思おもいや願ねがいについて、たずねてみました。調調しらしらべるべるア 「未み生しょうの縁えん」台だい本ほんの写うつしつながる・ひろがるこのこの時時じじ間間かんかんのの問問とといい組くみ踊おどりは、どのようにして守まもり伝つたえられてきたのか調べよう。 「雪ユチバレー払」は、戦せん前ぜんまで那な覇は市し字あざ宇う栄え原ばるで上じょう演えんされていましたが、戦せん争そうで上じょう演えんがとだえて「まぼろしの組くみ踊おどり」となっていました。 しかし、当とう時じを知しる宇う栄え原ばる出しゅっ身しんの赤あか嶺みねさんが移い民みん先さきのブラジルから、きおくをたどり書かき起おこした台だい本ほんを送おくってきました。その232

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