2024年_副読本わたしたちの豊見城市_3・4年
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豊と見み城ぐすく龍りゅう船せん協きょう会かいの金きん城じょう会かい長ちょうの話はなし活かつ動どう「豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイ」について話はなしをきこう。ゆうたさんたちは、「豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイ」のことについて、学がく芸げい員いんさんにしょうかいしていただいた、豊と見み城ぐすく龍りゅう船せん協きょう会かいの金きん城じょう会かい長ちょうと赤あか嶺みねさんに話はなしをききました。調調しらしらべるべるつながる・ひろがるこのこの時時じじ間間かんかんのの問問とといい 汪おう応おう祖そが始はじめたハーリーを見みた、となりの那な覇は周しゅう辺へんの人ひと々びとは、汪おう応おう祖そのハーリーを見み習ならって爬は龍りゅう船せんを作つくり、漫まん湖こできょうそうをして汪おう応おう祖そにひろうしていたそうです。きょうそうをするときに、那な覇は・久く米め・泊とまりの爬は龍りゅう船せんは、豊と見み城ぐすく城じょう下かの津チーヤ屋(港みなと)に船ふねをよせ豊と見み城ぐすくノロ(神しん女じょ)の言いう通とおりにしたがい豊と見み瀬せウタキに向むかって、五ご穀こく豊ほう穣じょうのお祈いのりをしました。この行ぎょう事じのことを「豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイ」といいます。 先せん生せいが見みせてくれた写しゃ真しんは、復ふっ活かつした「豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイ」の様よう子すなのです。豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイは一いち時じとだえていましたが、2003年ねんに125年ねんぶりに「ハーリー由ゆ来らいまつり」での「豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイ」を復ふっ活かつさせました。現げん在ざいは、豊と見み城ぐすく城じょう址しの中なかにある豊と見み瀬せウタキで5月がつに行われ、那な覇はハーリーと豊と見み城ぐすくハーリーが安あん全ぜんに行おこなわれるようにと、豊と見み城ぐすく・根ね差さ部ぶ・嘉か数かず・真ま玉だん橋ばしのノロと神カミンチュ人がウタキの前まえにお供そなえ物ものをしてお祈いのりをします。 「豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイ」を復ふっ活かつさせたのは、このような伝でん統とうある儀ぎ式しきとハーリー行ぎょう事じを関かん連れんづけて、子こや孫まごの世せ代だいにも、よろこんで受うけついでいってほしいという願ねがいからなのです。 ※五ご穀こく豊ほう穣じょうのお祈いのり:(作さく物もつが豊ゆたかに実みのるように願ねがうお祈いのり)とみぐすく写しゃ真しんアーカイブ1 「豊と見み城ぐすく」 (豊と見み城ぐすく自じ治ち会かい・豊と見み城ぐすく市し教きょう育いく委い員いん会かい)「豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイ」について話はなしをきこう「豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイ」とは、どんなことをする行ぎょう事じなのか、調しらべてみよう。「豊ティ見ミ城グシク上ヌブりイ」は、どのような行ぎょう事じなんですか。222

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