2024年_副読本わたしたちの豊見城市_3・4年
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市し役やく所しょの人ひとの話はなし 昔むかしは、ごみは庭にわや畑はたけにうめたり、もやしたりしていました。その後ごごみの量りょうがふえてくると、各かく字あざの大だい八はち車ぐるまやトラックなどで、毎まい週しゅう1回かい、各かく家か庭ていで集あつめて、海かい岸がんで「ろ天てん焼やき」をしていました。それでも、人じん口こうがふえ、ごみの種しゅ類るいや量りょうが多おおくなるとこれまでの方ほう法ほうでは処しょ理りできなくなり、人ひと々びとの健けん康こうで衛えい生せい的てきなくらしにもえいきょうがおよぶようになりました。 そこで、市しは1998年ねんに糸いと満まん市しと協きょう力りょくして『糸いと豊とよ環かん境きょう美び化かセンター』という、清せい掃そう工こう場じょうをつくったのです。収しゅう集しゅう車しゃで集あつめたごみを、環かん境きょう美び化かセンターや最さい終しゅう処しょ分ぶん場じょうなどに運はこび、安あん全ぜんで衛えい生せい的てきな方ほう法ほうで処しょ理りするしくみをつくりました。だいきさんたちは、ごみの種しゅ類るいによって、処しょ理りのしか資し源げんごみの分ぶん別べつ焼やく20181614121086420(昭和55)エ 豊と見み城ぐすく市しのごみの量りょうの変へん化か11,2864,620(千t)1980しょうわ19902000201019,41016,54915,426わねん2020年れい(令和2)「ごみの収しゅう集しゅうのしかたは、昔むかしと今いまでは、どのように変かわってきたのかな。」どうして今いまのようなごみの収しゅう集しゅうのしかたになったのか、だいきさんたちは、市し役やく所しょの人ひとにきいてみました。たがちがうわけを、知しりたくなりました。大大だいだい八八はちはち車車ぐるまぐるまによるによるごみごみ集集あつあつめめウ ごみ処しょ理りのうつりかわりあなをほってうめるろ天てん焼やき139

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